なぜ出る杭は叩かれるのか?

うじやす

2008年08月26日 20:28




 何か新しいことをやろうとする、独創的なことをやろうとする、仲間から外れた行動をする、

一様に批判というか距離を置かれたりすることはよくあります。影であいつ勝手なことしてる

なんて言われてたりね。

 それはSLでも同じことが言えて、何かにつけて声が聞こえてくることがあります。

面と向かって言われなくてもわかってるじゃんって、そういう自分が属しているグループ

あるいは近所などの巷の声とかですね。

 しかしそれは法律のように決められたことでなくても厳然としてあったりします。

いったいどうしてそうなのでしょう。


 日本の社会は個人主義を悪とみなす風潮がありました。従来大部分の日本人が稲作に携わっていた

時代、村の共同作業であった稲作は個々が勝手に動いていては成り立たないものだったからでしょう。

従って、稲作というチームプレイをこなして村が生き延びていくためには掟などという明確な決まりの

他にも生活の一挙手一投足を規定するような細かな行動の習わしのようなものが必要だったのだと

思われます。


 しかし現在、個人主義と利己主義を混同してしまっているが故に個人を必要以上に縛る社会が

閉塞感を生んでいるのではないかと思えるのです。個人を出さず隣と同じような行動を強いるので

やがて耐えられなくなって心を病んだり暴発したり自殺したりしてしまいます。

 チームプレイに徹したはずの日本チームは北京五輪で果たしてどうだったでしょう?

組織の中で自立した個人が個性を存分に発揮したチームが活躍したのではないでしょうか?

仲間的に協調(同化)して組織的にがんじがらめのチームではまるで選手はロボットのように

しか動けません。

 もしSLの日本社会(そのようなものがあればだけど)をチームと見立てるなら、自分の特徴を

しっかり認識して(自立)、自分の考えなり目的なり楽しみを持って、他のひとの同様なことも

ちゃんと認めることが大事なんですね。

 でないとただの足の引っ張り合い、けなしあいになってしまいます。誰かが何かやろうとしている

とき、冷や水を浴びせるようなことはしないでそのやろうとしていることを見守ってあげるくらいの

度量は持ちたいものです^^
出来事