2009年01月29日
アバター名の由来

一流建築家への道のShoさんがアバターの苗字は調べると面白いかもねで語っていた通り、確かに面白いなあと思いました。
なによりもまずあたしの名前が面白いww
ujiyasuってどう見ても女じゃない・・・
まああたしがこの人凄いんじゃ?と思ってたのを登録段階でポチっと押してしまってできた名前なんですがw
神奈川県小田原市で毎年5月連休中に催される北条五代祭りでのワンショット。「玉縄城主氏康」と背後の幟に書かれていますが、その男性が扮した氏康こそがあたしのujiyasuの由来ですw
なぜ男性を?
SLを始めた当初などは散々言われましたが
「あいつ、男だぜ」
でももう慣れましたねー^^
日本の戦国時代の大名であった後北条氏の第3代当主、北条氏康です。
戦国大名には他にもっと有名なのがいるだろうと言われそうですけど、あたしが今は神奈川に住んでいるということ、後北条氏の史跡が近くに豊富なことでまず興味を持ったのが最初です。
そして決定的に後北条氏が好きになったのは司馬遼太郎さんの歴史小説「箱根の坂」を読んでから。この小説は後北条氏の始祖たる第1代、北条早雲が主人公ですが巷で言われる「成り上がり」などではなく教養豊かで勇気も持ち合わせた当時の室町幕府の中核で実務を行っていた伊勢氏の流れを汲む人物であって、小説中で描かれた「涼やか」な早雲の人柄に惹かれたのが最も大きいでしょう。
第2代氏綱の後を継いで当主になった氏康ですが、就任と同時に周囲の大名から攻められて窮地に陥りますw
それを起死回生の「河越の夜戦」で破って領国の基礎を固めたと言われますが一説には夜戦ではなかったとも。
氏康の治世時領国は拡大し、特に民政の手腕は卓越していたらしく、戦国第一と評されています。旧家に未だに残る当時の判物の多さは戦国時代の政治がどうであったのかを知る貴重な資料ですが、そういったものを後北条氏が滅んでもなお持ち続けた、江戸幕府の治世でも捨てずに残された事実は、この大名家が如何に住民に慕われていたかを物語るものでもあります。
豊臣秀吉に滅ぼされ、後に徳川家が関東に入りますが大部分の北条家臣は静かに帰農しました。徳川家は三河、今の愛知県の武家です。そしてそこから大量に家臣を引き連れてきたので言わば愛知の植民地のような状態になったわけですね。

でも、現代になっても後北条の治世の記憶は各地に細々とではありますけど受け継がれています。
それが小田原北条五代祭りにわざわざ各地から参集してくる「支城」のあった埼玉や東京西部の方々なんです。
埼玉から一族北条氏邦の旗を立てて来られる寄居の「鉢形衆」、そして八王子からは氏照の「八王子衆」など当時の軍団が置かれたところから1年に一度、本城の小田原に集まってくるんですね^^
あたしのアバター名はこうしたところでujiyasuになっているんです。
Posted by うじやす at 20:29│Comments(0)
│自宅